ことば の ぼうりょく には わけがある

solo play

※画面は開発中のものです

 

言葉の暴力はやめましょう、と言われただけでやめてくれる人はレアです。ほとんどの人はなかなかやめてくれません。一体どうしたらやめてくれるでしょうか? 答えにたどり着くためには、言葉の暴力を振るっている人たちのことを知る必要があります。

彼らは怒っています。怒りの対象は人それぞれですが、共通しているのは「自分は損をさせられた」という認識です。ちょうど時期なので学園祭の例をあげると、お客さんがいっぱい来て盛りあがっている団体に怒る人が毎年います。

その団体から何かひどい仕打ちでも受けたのでしょうか。いいえ、違います。何かしたりされたりするほどの密なかかわりはありません。ただ遠くから見てうらやましいと感じているだけです。

そしてここがわかりづらいところなのですが、彼らは「うらやましいと感じること=損なこと」という前提に立っています。普通の人はうらやましいと感じても怒りませんが、彼らの場合は損をさせられた、被害を受けたと感じるので怒ります。

もう少しわかりやすい別の例では、好きな人に怒る人がいます。彼らは下駄箱やステージで見て気に入った異性やアイドルの悪口を言いふらしたりします。好きな気持ちにさせられた、心を動かされたので怒っています。

単純に考えると、なんで好きな人に怒るんだろうと思いますよね。彼らが怒るのは、自分の気持ちを成就させる可能性を想定できていないからです。好きな子をいじめる小学生も同じですが、好きという気持ちをどう扱っていいかわからずストレスがたまり変な形で爆発してしまいます。本当は、好きな気持ちを素直に伝えればいいだけなのに。

学園祭で人気団体に怒るのも、うらやましいという気持ちを持て余している人たちです。素直にうらやましいと言えるほど強くないので、感情の持って行き場がなくストレスがたまります。そんな苦しみを味わわせた相手に対して怒りを覚え言葉の暴力を向けます。

彼らは悪意をもってわざと言葉の暴力を振るっているというよりも、まだそうせざるをえない発達段階にとどまっていると言ったほうが正しいでしょう。これからの経験次第では、言葉の暴力とは違った形で、自分の心に生じた感情と向き合っていくことができるようになります。

彼らの成長を促進するか、せめて邪魔しない対応を一人ひとりがすれば、言葉の暴力をなくすことができるかもしれません。少なくとも減らせることは確実です。

言葉で暴れている人を見かけたら、そっとしておいてあげてください。頭にきて言い返してしまうと、怒りが相互作用して増幅されるだけです。言葉の暴力をやめるよう冷静に説得したり説教したりするのも逆効果です。すでに怒っている状態の人に理屈は通用しません。

まずは怒りのケアが大切です。彼らの言葉の暴力を駆動しているところの、言葉の裏側にある感情に注意を向けてみてください。完全にとらえられなくても構いません。気づこうとする姿勢だけでも有効です。自分の気持ちを理解しようとしてくれる人が存在するという事実を知ることは、彼らにとって大きな癒やしになります。

自分をわかってくれる人、共感してくれる人を、彼らは信頼します。そうなって初めて、感情との新しい向き合い方を仕入れる準備が整うことになります。信頼する人の言葉なら素直に聞きやすいし、そんな人の立ち居振る舞いを見て自分から自然に学んでいきます。やがては言葉の暴力からの卒業です。

といってもいつでもこんなに丁寧な対応をするのは大変ですから、余裕があるときだけで構いませんし、やってみて疲れたらすぐにやめて大丈夫です。無理はしないでくださいね。いろいろな人がいろいろなところで気が向いたときにちょっとずつやってみるだけで、全体としてみればだいぶ変わります。莫大な時間も労力もかかりますが、これが学園からことばのぼうりょくをなくす唯一の道です。

 


 

【以下、個人的な宣伝】

前回の翔愛祭では、割烹着をパクられた給食当番の悲劇とパクった衣装でアーティストデビューした犯人二人組の末路を描いたスライド作品を展示しました。その続編として今回、服もキャラも名前さえも失った男が裸一貫から勃ちあがる再生の物語「solo play」を封切ります。上映会場は「おいでよ♪なぞ部」さんのブースです。よかったら遊びにきてね!

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