ルールとマナーを守らない

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路上で裸になって大声で叫ぶと捕まります。運良く捕まらなかったとしても、通行人に白い目で見られたり逃げられたり怒られたりします。

しかし、祭になるとどうでしょう。

路上では大勢の男達が裸になって神輿をかつぎ大声で「ワッショイ!」と叫びます。警察も捕まえにきませんし、通行人は喜んで群がってきます。

普段は敬遠される行為が祭のときには許容され奨励されるという逆転現象が起こります。これが祭の意義です。

無法な振る舞いがどうして許されるのでしょうか。真面目な生徒からすれば、祭だからといって羽目を外していいなんて聞き捨てならないかもしれません。

そういえば授業中の学校に野良犬が入ってきたこと、ありませんか? なぜかウキウキして楽しい気持ちになったものです。あるいは、調理実習。食べ物を持ってきてはいけない学校で物を食べるという状況にそこはかとなく興奮しました。

非日常的な体験で目を輝かせ元気になってしまうのは、一見秩序だった日常生活が実はぼくたちから生気を吸いとっているからです。知らず知らずのうちに心にかかっていた負担を取り除く工夫、それこそが祭だったのです。

いつものまっとうな学校生活を送る中で無意識的に押し殺されてきた人間性を解放する場、学園「祭」。マナーを捨て、ルールを破り、無法に暴れまわることで本来の生命力を取り戻す機会です。積極的に活用してください。

ぼくならたとえば小説を発表します。祭じゃないときに素人作品を見せると嫌がられますが、祭でなら大丈夫です。精神的な露出に興味がない人の場合は、普通に裸になって下駄箱や出展教室を走り回るなんてどうでしょう。SNSに連続投稿して目立つのも面白そうです。あなただったらどんな迷惑行為をしてみたいですか?

ときどき風紀委員みたいに注意してくる人や隠れて悪口を言う人もいますが、真に受けて行動を控える必要はありません。もしもあなたがその風紀委員タイプならば、そんな仕事をがんばるよりぼくらと一緒にお祭り騒ぎを楽しみましょう。

とはいえ、どんな暴挙でも許されるというわけではありません。人の住む家に火をつけるなどの行為は祭でも許されません。どこまでならOKで、どこからがNGなのでしょうか。

ルールブックはありません。あっても無意味だからです。全てのケースをあらかじめ規定することは不可能なので、アドリブで対応しなければならない場面に必ず遭遇します。

基準は自分の中に作るということです。そのためには自ら試行錯誤する必要があります。実際に暴れてみて、「これくらいならよさそうだ」とか「これはやり過ぎだったかも」とか、自分で経験しながら少しずつ身につけるのですね。

それでは、ルールとマナーを守らずに楽しい学園ライフを♪

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